1988年ソウル五輪を前に、米国代表のジョン・トンプソンHCがデビッド・ロビンソンに「代表には入れない」と告げていた場面が、Yahoo Sports 掲載の Basketball Network の記事で紹介された。ロビンソンは結局代表入りしている。
Yahoo Sports が掲載した Basketball Network の記事によると、ロビンソンは身長7フィート1インチ (約216cm) の左利きのセンターで、大学ではネイビー (海軍) のチームでプレーした。大学最後の3年間の平均は24.8得点、12.2リバウンド、4.8ブロック。1987年のNBAドラフトで、サンアントニオ・スパーズが全体1位で指名した。ただしスパーズでプレーする前に、2年間の兵役と、代表として臨む1988年ソウル五輪を終える必要があった。
代表HCのトンプソンとの面談で、ロビンソンは自分の状態を正直に打ち明けた。潜水艦基地で土木技術将校を務めており、ボールに触れる時間がほとんど無かったという。基地でプレーしても相手は6フィート1インチ (約185cm) のセンターで、練習にはならなかった。それでも「大学のときのように懸命に練習して、また支配的な選手になる」と伝えた。書籍「ドリームチーム」によると、トンプソンは「君は代表に入れない」と返し、「ボールを扱えないし、パスもできない。バスケットの技術は最低限だ」と続けた。
ロビンソンはこの言葉を個人攻撃とは受け取らなかった。トンプソンは、壁を走り抜けろと言われれば走り抜ける選手を好むと見ていたといい、自分は「なぜこの壁を走り抜けるのか」と問うタイプだと語っている。ロビンソンは代表入りし、五輪では平均12.8得点、6.9リバウンドを記録した。ただ米国は準決勝でソ連に敗れ、銅メダルに終わった。
1988年は銅メダルに終わったが、ロビンソンは1992年のバルセロナ五輪と1996年のアトランタ五輪で金メダルを獲得した。
用語・人名メモ
- 全体1位指名 — NBAドラフトで最初に選ばれる指名権のことで、ロビンソンは1987年にスパーズから選ばれた。
- センター — 主にゴール近くでプレーするポジションで、一般に背の高い選手が務める。
- 1988年ソウル五輪 — ロビンソンが米国代表として出場した大会で、米国は準決勝でソ連に敗れて銅メダルだった。
- ドリームチーム — 1992年バルセロナ五輪に出場した米国代表の愛称で、ロビンソンもこのチームで金メダルを手にした。
出典: Yahoo Sports